越冬パンフ1
2015/12/28~2016/1/4
仲間内の団結で一人の餓死・凍死者をだすな!
今こそ、安心して働き生活できる釜ヶ崎をつくろう!
万博が終わった1970年の年末。仕事が無くなり行政機関も一斉に休みに入ると、釜ヶ崎では多くの日雇い労働者がドヤ(簡易宿泊所)から路上に投げ出される事態が生じました。この状況に有志たちが「釜ヶ崎越冬対策実行委員会」を結成し炊き出しや集団野営に取り組んだことが越冬闘争の始まりでした。1975年には公園のテント村が大阪市・機動隊による取り壊し(行政代執行)をうけました。1978年には地区内の三つの公園が全面閉鎖されました。しかし越冬闘争は45年間、その時代の課題と取り組みながら一度も途切れることなく続けられてきました。今年の越年対策事業は昨年に引き続き地域内での実施となりますが、その中心となる新シェルターは一部未完成のままという難題を抱えながら取り組みとなります。
越冬支援連帯集会
12月21日(日) (ふるさとの家/午後3時~5時)
越冬突入集会
12月28日(日) (三角公園/夕方6時~8時)
今年(ことし)の越冬 ( えっとう )闘争 ( とうそう )は
釜ヶ崎(かまがさき)の年末 ( ねんまつ )年始 ( ねんし )は行政 ( ぎょうせい )機関 ( きかん )、医療 ( いりょう )機関 ( きかん )、各種 ( かくしゅ )相談 ( そうだん )機関 ( きかん )、シェルターも閉鎖 ( へいさ )されてしまいます。越冬 ( えっとう )闘争 ( とうそう )はこの期間 ( きかん )を「一人 ( ひとり )の餓死 ( がし )・凍死者 ( とうししゃ )を出す ( だす )な! 」を合言葉 ( あいことば )に1970年 ( ねん )に取り組み ( とりくみ )を始 ( はじ )め今回 ( こんかい )で46回目 ( かいめ )となります。昨年 ( さくねん )から南港 ( なんこう )の臨時 ( りんじ )宿泊所 ( しゅくはくしょ )が廃 ( はい )止され ( しされ )地 ( ち )域内 ( いきない )を中心 ( ちゅうしん )に越年 ( えつねん )対策 ( たいさく )が行 ( おこな )われることになりました。今年 ( ことし )は新 ( しん )シェルターと三 ( さん )徳 ( とく )ケアセンターに分散 ( ぶんさん )しての入所 ( にゅうしょ )となります。一昨年 ( いっさくねん )まで南港 ( なんこう )に行 ( い )っていた多 ( おお )くの仲間 ( なかま )が地域内 ( ちいきない )で年末 ( ねんまつ )年始 ( ねんし )を過 ( す )ごせるようになりました。しかし、新 ( しん )シェルターの管理棟 ( かんりとう )の建設 ( けんせつ )が間 ( ま )に合 ( あ )わず不十分 ( ふじゅうぶん )な体制 ( たいせい )を余 ( よ )ぎなくされています。また「あいりん総合 ( そうごう )センター」(あいりん職安 ( しょくあん )、西成 ( にしなり )労働 ( ろうどう )福祉 ( ふくし )センター、社会 ( しゃかい )医療 ( いりょう )センター、市営 ( しえい )住宅 ( じゅうたく ))の建て替え ( たてかえ )問題 ( もんだい )にどう関わって ( かかわって )行 ( い )くのか、という課題 ( かだい )も抱えて ( かかえて )の越冬 ( えっとう )となります。越冬 ( えっとう )闘争 ( とうそう )実行 ( じっこう )委員会 ( いいんかい )は釜ヶ崎 ( かまがさき )のさまざまな課題 ( かだい )に日々 ( ひび )関 ( かか )わっている諸団体 ( しょだんたい )・個人 ( こじん )が中心 ( ちゅうしん )となって運営 ( うんえい )されています。
越冬( えっとう)期間 ( きかん )の取り組み ( とりくみ )についてはこのパンフで紹介 ( しょうかい )されていますので参考 ( さんこう )にしてください。